毎年3月ぐらいに書き始めるのですが、家にいて暇なので今年はちょっと早かった(遅い)。いつも以上に自分の知っている周辺の音楽しか聴いていなくて、趣味の硬直を感じているのではあります。というわけで以下2020年に聴いていたあれこれの記録。
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Dreamt Twice, Twice Dreamt / Ingrid Laubrock (2020, Intakt)
全く同じ曲をチェンバーオーケストラを加えた中編成とスモールコンボとでそれぞれレコーディングしたものを収めたダブルアルバム。1枚目はドローン的効果を醸すチェンバーオーケストラの色彩感と、現代音楽を通過したコーリー・スマイスの先鋭的なピアノとのコンビネーションが美しく、2枚目はサム・プルータのエレクトロニクスが音響空間を支配しつつ、イングリッド・ラウブロックをはじめとするソロイスト間の対話が複雑なコレクティブ・インプロヴィゼーションを形成する。各々の要素を見ればカオスだが、表象されるテクスチュアは非常に整然と澄んだものとして受け取られるあたり、ラウブロックの意図したサウンドコンセプト/デザインの巧みさに舌を巻く。大作ではあるものの、理詰め感が刺激的で心地いい。気が付いたら通しで聴いてしまっていることが多い気がします。
Recognition / Sera Serpa (2020, Biophillia)
いつになってもマーク・ターナーのテナーが自分を宇宙遊泳に連れて行ってくれる。恒星のようにカラフルであり、ブラックホールのように虚無的でもある。ピアノとハープが音像を張り詰め、サラ・セルパのヴォイスが幻影のように浮き沈み時には語りかけるかたわらで、ターナーがいつものように向こうの世界に行っている。ヴォイスとサックスが全く別の方向に向いていそうで、しかしとても親和性をもって響いているという、不思議な調和と均衡が聞かれる。サックス奏者というよりは、ひとつの特異なサウンドの担い手としての重要な存在感を改めて感じてしまった次第。
Hero Trio / Rudresh Mahanthappa (2020, Whirlwind)
2曲目に取り上げられているスティーヴィー・ワンダーの”Overjoyed“にやられてしまった。朗々としたメロディが変拍子の中で不穏さを孕んだまま続いていたのが、唐突に爆発し苛烈な演奏に変貌する。その移行があまりにもシームレスでスリリング。チャーリー・ヘイデンが”The Ballad of The Fallen” (1982)の最後の曲でやっていたようなシュールな諧謔味ではなく、シリアスに外側に向かい逸脱していく……というよりは楽曲のイメージを拡張していく感覚が楽しい。最初すっかり聞き流していましたが、1曲目のチャーリー・パーカーからこうなんですよ。全編カヴァーだからこその味わいのあるアルバム。
Color of Noize / Derrick Hodge (2020, Blue Note)
もはやメジャーアーティストになったデリック・ホッジだが、この人が作ったアルバムを聴くたびに思うのは「自分と音楽の趣味が似てるのではないか?」ということで、自分にとってはスッと入ってくるので、なんとなく吸い寄せられるように聴いてしまう。サウンドそのものも肌に合うし、ウェイン・ショーターの”Fall”を取り上げているのなんて最高でしょう。ツインドラムの強靭なグルーヴの波の上に、重厚かつ洗練されたツインキーボードのサウンドを敷き、ホッジのベースが自由に歌う。多元的な音楽的ルーツからなる複数の要素を凝縮して落とし込み、現代的なサウンドプロデュースを施した文字通りの「フュージョン」音楽が心地よい。
The Complete On The Corner Sessions / Miles Davis (2007, Columbia)
これはわたしが高校生のころに出たボックスセットで、当時めちゃくちゃ欲しかったのが今やSpotifyでいくらでも聴けるので、夏の間とかはこの(CDにして6枚にもなる)ダルく壮大なファンク楽曲集をただただ流していたのでした。マイケル・ヘンダーソンの泥臭く粘っこいベースリフとレジー・ルーカスのワウワウカッティングのサウンドが癖になり、それだけで何十分と聴いていられる。もちろんデイヴ・リーブマンやソニー・フォーチュンといった優れたソロイストのプレイも楽しめます。その中にあって、上に挙げた要素を全て飲み込み、垂直的なリズムを執拗に反復させながら、匿名化された音を重ね合わせた結果、まったく新種のトリップ音楽が出来上がってしまった”On The Corner” (1972)のセッションは極めて異質である(”On The Corner Sessions”と銘打たれているにもかかわらず)。これを若者向けのダンスミュージックとして作ったデイヴィスはおかしい。