「木村伊兵衛 写真に生きる」@ 東京都写真美美術館、KAWAII LAB SESSION vol.08とか

2週間遅れの日記。連休ずっと歩き回っている気がするがせっかくだから最後まで動くか、と思い、掃除とかしたあとに恵比寿へ。

4年ぶりに来る写美。ちょっと前に中平展見たり、横浜トリエンナーレでもやっぱり写真作品がすごく目に留まったりもしていたので、まもなく会期終了の木村伊兵衛展へ。

カラー作品も新鮮

カルティエ=ブレッソンが好きなので、その流れで木村伊兵衛も当然好き。改めてみても、報道写真とひとくちには言うものの、被写体との距離感が物理的にも精神的にもあまりにも絶妙で、まねできないなあと思う。市井に入り込んで人と触れ合い、それでも一歩引いた眼差しが本当に特異である。切り取られた時代背景と暮らし、人々の表情がとても生きたものとして受け取ることができるのは、そういうドキュメンタリー的感覚のおかげだなと。

この前日に新宿の街に出てて、歩行者天国なってるしカメラも持ってるし久しぶりに写真でも撮るか、と思ったけれど、いざカメラ持っても全然撮るイメージが湧かなくて。8年ぐらい前まではあれだけ歩いて回ってた新宿で、街並みもそこまでは変わっていないのに。でも空気はすごく変わったなあと思う。街と人が交わる瞬間を全然とらえられないし感じることができない。自分の感度が落ちたのも確かではありますが、まあそんなことがあり、ここで見た写真群のぶっ刺さりが半端なかったわけです。

後半の「中国の旅」パートにそんなような記述があったけれど、「社会が一つの方向に進んでいる」アトモスフィアはフィルムの中にまざまざと写し取られる。その方向が果たして正しいものだったかは歴史が決めるとして、写真表現の中のそんな表象、への憧れ、みたいなものが自分の中で可視化されたかんじ。

写美をあとにした流れでそのまま隣のガーデンホールでKAWAII LABのライブ見る。どういう流れだよという感じですが、最近アイドルのライブ見てないしということで当日券で。ライブはカワラボメイツ、SWEET STEADY、CANDY TUNE、FRUITS ZIPPERの順で数曲ずつ披露してく流れ、はじめ3つはミリしらにも程があったのですが、SWEET STEADYの曲は好きめなエモみもあり。FRUITS ZIPPERはさすがに何曲か知ってた。対バンでも全体で盛り上がるもんなー強い。

特典会はさすがになぎゅちゃんと。僕はAKB時代のなぎゅちゃんと会ったことはないのですが、前々世ぐらいの頃からTwitterはフォローしてて、シンプルに顔が好きっすね。踊ってても笑顔が可愛かったし、話してて雰囲気が昔やってた配信と変わんないなーと思ってひとりで感動してた。そんなような話もしつつ、なぎゅちゃんと同期の子推してたんだよねーみたいなことを匂わせておく。

外でたらブルーノートプレイスの前でDJイベントやってて80年代AORを浴びた。その後はカフェ入ってなんか書き物。駅前にできてた大型ユニクロも見つつ離脱。新宿に移動してオクトーバーフェストでブルストも食べた(飲酒なし)。

握手会からの美術展からの握手会 – 横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」@横浜美術館

4月27日の話。連休初めからブルーノートでライブ見て一杯やりラーメン食べて終電帰りだったわけですが、翌日パシフィコ横浜握手会1部は無謀。と思ったら意外とスッと起きれた。アイドルと会えるの久しぶりだからかな()

言うてそんなに枚数はないのですが、1部ははーちゃんとさくっと話してサイン受け取ったという感じ。僕ははーちゃんに自分から名乗ったことはなかったのですが、MVPのTシャツのサインを書いたときに覚えてくれたらしくて、最近公演でも握手会でも名前を呼んでくれるのが嬉しいんよね。なのに最近公演が全く当選しないのでそんな話してた。

サイン受け取って一旦離脱してマークイズのブルーボトルコーヒーでブランチ、とも言えないような軽食。マキアートとチーズサンドとトマトスープ。サンドとスープけっこう美味。お店の中も明るくてもろもろ作業が捗った。

少しクイーンズスクエアのお店見た後に横浜美術館。横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」へ。横浜美術館のリニューアルもう終わったんや、と思ったら3年も休館していたときの顔になってた。

大震災のあと、民主主義・資本主義、大量消費社会の軋轢、性・人種・民族をめぐる闘争などなど吹き荒れる世界のなかにおける芸術みたいなところでしょうか。はっきりとした主題・主張をもったキュレーション。僕はどっちかといえば、戦争や特定の政治体制そのものに対してダイレクトに強烈にプロテストする芸術というよりは、後から顧みたときにそれ以後にしか生まれ得ない何かが浮かび上がってる、っていうほうが好きかな。それはなんというか社会学的なアプローチでもあり。そういう意味では中盤の「流れと岩」と題された章でのプリミティブなインスピレーションがほとばしる作品群が楽しかった。この時代だからこそ生まれる衝動のようなものに突き動かされて、それがまた時代に影響をおよぼすエネルギーに変わる。そういうエネルギーを信じたい。

日大講堂として使用されていたころの旧両国国技館の写真があった
アボリジニのアーティストによる作品。シドニーの現代美術館思い出す。

サウス・ホーによる雨傘革命後の香港の静けさをとらえた写真群を見てて、僕らの世代の革命はこれで終わったんだよな、と感じても、それでもなお。

美術館をあとにしたら良い時間になってたので、パシフィコに戻って6部の握手に向かうのでした。彩音ちゃんと最近公演当たらねーという話。ラスト美波ちゃんとは今日も可愛いねえという話(毎回してる)とサインに書いてあった言葉について。朝読んでて嬉しかったんよね。バブルワッフルも食べて退散です。

中平卓馬 火―氾濫 @ 東京国立近代美術館/神田川を歩く

中平卓馬展に滑り込みで行ってた。中平といえば、自分が写真をきちんと勉強?し始めたころにちょうど亡くなってしまったんだよね。死後初の回顧展ということで、まとまって仕事を把握する機会があるのはありがたい。構成としても時系列で追っていく流れになっていて入り込みやすかった。

最近そういう写真に触れてなかったけど、やっぱり初期のラディカルなアレブレボケの迫力には抗いがたい魅力があるなあと思いながら。時代と主張と表現手法が完璧なまでに一致しているときに”醸し出される”衝撃みたいなものがある。それは時代が当時から乖離すればするほど、色濃く受け取られ感じ取られるのだろうし。

そこから「植物図鑑」を越えて。主体としての中平の主張・批判が介在する、いわばドキュメンタリーであった過去の写真を否定した後の即物主義的な写真が並ぶ。特に晩年の写真群「キリカエ」が印象的だったかな。100mmレンズだけでとらえた都市の表情が、100mmでも確かに「風景」だなあと思えたり。テクスチュアは初期作品と比較すれば無機質に見えたとしても、どこか親しみがあって愛嬌があって目に光が灯っている。文字通り「カメラになった男」となった晩年の中平でさえも、捨てられずにまだ追い求めていたものがあったのかもねと思えました。

自分的には即物主義的に芸術(とりわけ音楽)を見ることはずっと目指しているので、中後期の中平にはシンパシーを感じるのよね。と言いながら色んな言葉を弄して今この記事を書いているみたいなコンフリクト。

北の丸公園で休憩しようと思ってたらさくら祭りのおかげで見たことないような人出。人がいない場所を追い求めて飯田橋ぐらいまで歩いてたら、いつの間にか神田川沿いの桜に吸い寄せられてた。ここも花見客はいるにはいるけれど、皇居周辺とか目黒と比べたらめちゃくちゃ快適。椿山荘〜早稲田あたりは周辺の雰囲気もいいし、落合〜東中野ぐらいのライトアップもつい足を止めてずっとそこにいたくなるような趣。てな感じでいつの間にか新宿まで歩いてた。全然知らなかったけど穴場だった!

なんかすぐに影響を受けて写真を撮ってしまうみたいなところがある。