投稿者: D-man

  • 降幡愛 スペシャルライブ 「Ai Furihata “Trip to BIRTH”」

    降幡愛 スペシャルライブ 「Ai Furihata “Trip to BIRTH”」

    年明けてからどこにも行っていなくて人間性が無になりかけていましたので、人間性を回復するには音楽しかないのだ、ということで降幡さんのライブに来てみました。去年ビルボードライブで最初にライブをやった時の評判は聞いてたので、生演奏をじっくりと楽しめたらいいななどと思いながら。一般でチケットを取ったのに座席が2列目だった。2月18日夜公演。

    大元のコンセプトの時点で特定の音楽性を強く志向しているアーティストイメージ、みたいなものが正直得意ではないのですけど、降幡さんの場合はその振り切り方がある種清々しく、逆に楽しく聴くことができます。「真冬のシアーマインド」のビデオとか、もう面白すぎるでしょ。これは本人が好きだからできることであるなぁと思うわけで。わたし自身は1980年代をリアルタイムで通過した世代ではないのですが、音楽の原体験がザ・スクェア、ユーミン、森高あたりなもので、80年代的な仕掛けが聴こえると遺伝子レベルでつい身体が反応してしまうのはたしか。

    ライブでもそういう方向性は一貫していたように感じます。リバーブのかかったヤマハDX(風)サウンドがまずもって1980年代感を強く醸成させ、硬質なビートとチョッパーベース(あえてスラップと言わない)、クリーントーンのカッティングに身体が自然に揺さぶられつつ、ボーカルに絡むようにそこかしこに挟まるオブリガートも痒いところに手が届きまくっており、生で聴くと尋常ではない爽快感。基調としてはそんなところですが、YMOみたいなオリエンタルフレーズが散りばめられた桃源郷白書とか、スカっぽいアップテンポリズムでサックスとオルガンが前面に出るYの悲劇みたいな、こってりになりすぎず飽きさせないエレメントもあり。Yの悲劇はライブ向きの振り付けもあって楽しめます。バラードナンバーに目を転ずれば、OUT OF BLUE 2サビでの熱いディストーションギターなんてお約束すぎて随喜の涙を流さざるを得ません。

    また、加えてすばらしいなと思ったのはコーラスがいることで、メロディの重厚感によって80’sっぽさがさらに際立つ。そのコーラスのミキティさんがフロントに出てくる場面。ツインボーカル、しかもスタンドマイクという時点でカバーするアーティストがばればれ、ということでユニット「まばたき」として愛が止まらないを披露したり。オーラス真冬のシアーマインドに至り、降幡さんとバンド全員(キーボードのnishi-kenさんも!)でツーステップを刻み始めるところまであまりにコテコテ。降幡愛さん、お約束を果たしすぎている。

    全体を通して何がいいのかというと、これだけの要素をしっかり消化した質の高いアンサンブルを間近で体感できるという安心感かなと。てんこ盛りの80年代エッセンスに対し、(マニピュレーターはいるにしても)不釣り合いなぐらいにシンプルな編成ですが、だからこそ出てくる音はそんなエッセンスを一塊にしたような凝縮感がありました。そして何より、降幡さんのステージ上での躍動がいいんですよね。普段着の彼女とはひと味違った、楽曲の世界に溶け込んだボーカルと佇まいは彼女の役者・パフォーマーとしての面目躍如たるものがあります。先に書いたように、好きだからこそここまで突き詰められるのだなーということがとても感じられるステージでありました。カクテルも引っ掛けていい感じにぐでぐでになりながら体動かせて楽しかったー。

    SETLIST

    1. パープルアイシャドウ
    2. RUMIKO
    3. ラブソングをかけて
    4. 愛が止まらない 〜Turn it into love〜
    5. 桃源郷白書
    6. OUT OF BLUE
    7. Yの悲劇
    8. SIDE B
    9. ルバートには気をつけて!

    Encore

    1. CITY
    2. うしろ髪引かれて
    3. 真冬のシアーマインド
  • 音楽2020

    音楽2020

    毎年3月ぐらいに書き始めるのですが、家にいて暇なので今年はちょっと早かった(遅い)。いつも以上に自分の知っている周辺の音楽しか聴いていなくて、趣味の硬直を感じているのではあります。というわけで以下2020年に聴いていたあれこれの記録。

    2019 / 2018 / 2014 / 2013 / 2012 / 2011 / 2010 / 2008

    Dreamt Twice, Twice Dreamt / Ingrid Laubrock (2020, Intakt)

    全く同じ曲をチェンバーオーケストラを加えた中編成とスモールコンボとでそれぞれレコーディングしたものを収めたダブルアルバム。1枚目はドローン的効果を醸すチェンバーオーケストラの色彩感と、現代音楽を通過したコーリー・スマイスの先鋭的なピアノとのコンビネーションが美しく、2枚目はサム・プルータのエレクトロニクスが音響空間を支配しつつ、イングリッド・ラウブロックをはじめとするソロイスト間の対話が複雑なコレクティブ・インプロヴィゼーションを形成する。各々の要素を見ればカオスだが、表象されるテクスチュアは非常に整然と澄んだものとして受け取られるあたり、ラウブロックの意図したサウンドコンセプト/デザインの巧みさに舌を巻く。大作ではあるものの、理詰め感が刺激的で心地いい。気が付いたら通しで聴いてしまっていることが多い気がします。

    Recognition / Sera Serpa (2020, Biophillia)

    いつになってもマーク・ターナーのテナーが自分を宇宙遊泳に連れて行ってくれる。恒星のようにカラフルであり、ブラックホールのように虚無的でもある。ピアノとハープが音像を張り詰め、サラ・セルパのヴォイスが幻影のように浮き沈み時には語りかけるかたわらで、ターナーがいつものように向こうの世界に行っている。ヴォイスとサックスが全く別の方向に向いていそうで、しかしとても親和性をもって響いているという、不思議な調和と均衡が聞かれる。サックス奏者というよりは、ひとつの特異なサウンドの担い手としての重要な存在感を改めて感じてしまった次第。

    Hero Trio / Rudresh Mahanthappa (2020, Whirlwind)

    2曲目に取り上げられているスティーヴィー・ワンダーの”Overjoyed“にやられてしまった。朗々としたメロディが変拍子の中で不穏さを孕んだまま続いていたのが、唐突に爆発し苛烈な演奏に変貌する。その移行があまりにもシームレスでスリリング。チャーリー・ヘイデンが”The Ballad of The Fallen” (1982)の最後の曲でやっていたようなシュールな諧謔味ではなく、シリアスに外側に向かい逸脱していく……というよりは楽曲のイメージを拡張していく感覚が楽しい。最初すっかり聞き流していましたが、1曲目のチャーリー・パーカーからこうなんですよ。全編カヴァーだからこその味わいのあるアルバム。

    Color of Noize / Derrick Hodge (2020, Blue Note)

    もはやメジャーアーティストになったデリック・ホッジだが、この人が作ったアルバムを聴くたびに思うのは「自分と音楽の趣味が似てるのではないか?」ということで、自分にとってはスッと入ってくるので、なんとなく吸い寄せられるように聴いてしまう。サウンドそのものも肌に合うし、ウェイン・ショーターの”Fall”を取り上げているのなんて最高でしょう。ツインドラムの強靭なグルーヴの波の上に、重厚かつ洗練されたツインキーボードのサウンドを敷き、ホッジのベースが自由に歌う。多元的な音楽的ルーツからなる複数の要素を凝縮して落とし込み、現代的なサウンドプロデュースを施した文字通りの「フュージョン」音楽が心地よい。

    The Complete On The Corner Sessions / Miles Davis (2007, Columbia)

    これはわたしが高校生のころに出たボックスセットで、当時めちゃくちゃ欲しかったのが今やSpotifyでいくらでも聴けるので、夏の間とかはこの(CDにして6枚にもなる)ダルく壮大なファンク楽曲集をただただ流していたのでした。マイケル・ヘンダーソンの泥臭く粘っこいベースリフとレジー・ルーカスのワウワウカッティングのサウンドが癖になり、それだけで何十分と聴いていられる。もちろんデイヴ・リーブマンやソニー・フォーチュンといった優れたソロイストのプレイも楽しめます。その中にあって、上に挙げた要素を全て飲み込み、垂直的なリズムを執拗に反復させながら、匿名化された音を重ね合わせた結果、まったく新種のトリップ音楽が出来上がってしまった”On The Corner” (1972)のセッションは極めて異質である(”On The Corner Sessions”と銘打たれているにもかかわらず)。これを若者向けのダンスミュージックとして作ったデイヴィスはおかしい。

  • iPad Pro (2018)が完全体になった(?)

    iPad Pro (2018)が完全体になった(?)

    2018年の年末に第3世代の12.9インチ iPad Proを買ってからもう2年経っているのですが、アクセサリとしては本体と同時にSmart Keyboard Folioを買ったぐらいのまま使っていたのを、なぜかこのタイミングでApple PencilとAir Pods Proを買ったのでした。たしかAppleの公式サイトでiPad Proをカートに入れるとApple PencilとAirPodsをレコメンドされるので、2年越しでiPad Proが完全体になったというところ。

    ただ、Apple Pencilはまだ大したことに使っていなくて、Lightroom CCの細かいところの操作とか、PDFの注釈・赤入れぐらいでしょうか。書き味は非常に良好で、よく言われることですが、紙に書いている感覚とほとんど変わりません。この1、2年ぐらいほとんど手書きで字を書いていなかったせいであまりにも字が汚いのがわかり、暗い気持ちになるほどに()字が汚いのもそうですが、字を日常的に書かないので、何かアイディアが浮かんだ時に手が動かなくなっていますね。ここが繋がるようになればApple Pencilも良い感じに使えるんだろうなと思ったりします。

    AirPods Proは安物のBluetoothイヤフォンからの置き換えなので、使用感がまったく違います。もっとも気になっていたのはiPhoneとの切り替えで、普通のBluetoothイヤフォンだとうまくいかないことが多すぎたのですが、AirPodsの場合は同じApple IDであればデバイスを何かしら操作するだけで切り替わります。接続も解除もとてもスムーズ、ノイズキャンセリングも良い具合に効くのでストレスを感じません。外部音取り込みも便利。まあ、それなりに値段は張りますが、Appleデバイスとの親和性という意味では唯一無二であって、そのためだけに買っても損はしないものになっていると思います。

    iPad Proでやっていること

    iPad Pro使って2年ということで、iPadを使ってやっていること、みたいなものをまとめておこうかと思います。まとめておく、とは言うものの、PCを新しく組んだ今でさえメインの作業デバイスとして使っているので、ほぼ全てと言って差し支えありません。

    ブログライティングについては、ほぼ全ての記事のライティングと構成、アップロードまでを、iPad Proを導入してからこれ一台で完結させています。2019年以降はPCで書いた記事は数えるくらいというレベルですらないほど少ない(1つか2つ)と思います。

    フローとしてはBearで書いたものをWordPressに送ってブロックエディタで体裁を調整、といった具合です。このブログを見てもわかると思うのですが、記事を書くうえで僕はあまりMarkdownを使いません。ではなぜBearを使っているかというと、1. フリーで利用できて、2. UIが美しく動作が軽快で、3. 他アプリへエクスポートしやすく、4. 今みたいに珍しく下線でもつけたい時に、テキストエディタ上に直接プレビューされるのがわかりやすいという点が主な理由です。

    特に2は大きいかもしれません。モバイル環境でのライティングについてはiPad 3を使っていた頃から試行錯誤はしていて、古くはDraftPadから始まり、EvernoteやDropbox Paper, OneNote等々試していましたが、どれも変なタイミングで同期が行われたり、日本語入力に難があったり、帯に短し襷に長しという状況でした。Bearの場合、純正メモアプリと変わらない立ち上がりとUI・動作のシンプルさのおかげで、気軽にライティングに移行することができています。

    写真の調整と管理はLightroomです。機能はPC/Mac版と多少違うのでしょうが、自分が使う限りでは不足を感じたことはありません。ストレージ系はAmazon PhotosとGoogleフォトを両方同期させていますが、使用頻度が高いのはGoogleフォトです。何がよいかというと、Amazonと比較して動作やダウンロードが軽快であることもあるのですが、AppがSlide OverおよびSplit Viewに対応していて、その状態で画像をSafari上のWordPressやTwitterにドラッグ&ドロップすることで画像をアップロードという、標準写真Appと同じことができる点でしょう。

    動画はLumaFusionで編集・エンコードを行っています。iPhone11 Proで撮影した4K60Pの動画が扱えて、4K60Pで出力可能。自分が使う分には十分多機能です。DAWはCubasisで、MIDIキーボードと接続できるようにはしていますが、いかんせんストレージが64GBで少ないので活用できていない…。

    オフィススイートはiPad Proが弱い部分で、なんだかんだMicrosoft Officeにはなるのですが、iOS版は機能が削減されていて今ひとつ。ということで、TeamViewerで自宅PCに繋いで作業することが多いです。本格的に使うにはマウスなりトラックパッドなりが欲しいところですが…。Google Docsを利用する場合も同様。メールクライアントはSpark、PDFの編集はGoodNotesを使っています。

    あとは音楽や動画の視聴はSpotifyなりNetflixなり、皆使っているようなAppですが、iPad Proの場合、上部と下部に4基搭載しているスピーカーがかなり活きてきます。ちょっとしたBluetoothスピーカーならば不要になるほどで、ついつい音楽を流しておきたくなります。

    2年間利用して

    2年間使ってきて、iPadというデバイス、またはiPadOSが得意なこと・不得意なことはそれぞれはっきりしつつありますが、個人的にはここまで直感的に使えるインタラクションデザインは他になく、それだけで使う理由になっています。細かいことを言えば仕様的に改善してほしい部分は多々あるものの、それを補って余りあるものがあります。iPadを使い始めてからは7年ほど経ちそうなのですが、その当時考えていたことはほぼ実現できているのかなと。さらに言えばiPhoneを使い始めたときに考えていたことも。

    実は昨年からApple Watch 3も使っている(ほぼiPhoneの通知確認用)ので、側から見たら完全にAppleファンみたいになってきました。macOSを(日常的に触れていた時期はありましたが)未だに自分のマシンとしては使っていないのでまだまだとは思いますが、Apple Silicon Macが出てきてiPadとの線引きも新しくなっていく流れがあれば使っていくこともあるかも?まー今のところもうしばらくはこのiPad Proで戦っていく予定。

  • 沼津2020冬

    沼津2020冬

    遠出もほとんどしなかった2020年でしたが、この年の瀬で沼津に行ってきたのでした。2019年2月にあったユニット対抗全国ツアーで来て以来なのでほぼ2年ぶりなのですが、そこまで久しぶりな感じはしないなーと。

    やば珈琲で待ち合わせ後、散歩がてら沼津港まで。お昼はにし与さんのまぐろ丼。漬けの具合がよいです。アジフライは衣がサクサクジューシー、身はふわっと。

    また駅方面に戻りつつ、ブルーウォーターで文化的な生活。沼津来るときはほぼ一人なので、一人じゃ来にくいなーとか思っていたんですが、実際入ってみてもグループで来た方が楽しそうな雰囲気です。人と会うのも久しぶりなので、積もる話など。アップルパイは大きさがどんなものかなと思っていたら、アイスの方が圧倒的にでかかった。キャラメルソースが香ばしい。カクテルのブルーウォーターも爽快な口当たりです。

    そんなこんなしていたらあっという間に夕方。今回の目的というか口実は当然ながらAqoursちゃんの展示会「Pieces of Aqours」です。そういえば、沼津で2度あったスクフェス感謝祭は来ていなかったので、キラメッセぬまづは初めて入るんですよ。プラサヴェルデにこんなでかい空間が広がっていたのか。

    TVアニメやアニメPVにまつわる設定資料と原画が展示の中心。2015年から始まって現在へ。一部撮影可。自分がコンテンツを追う中で実際に見てきたもの…ライブのキービジュアルや衣装も、その瞬間瞬間が思い出されて感慨深いのですが、それらより少し前、「君ここ」からTVアニメ1期に向けての、何もなかった場所から物語が生まれようとする過程が胸を打ちます。これからここで起こることの胎動を緻密に、克明に、ダイナミックに伝えています。

    思い出していたのは、TVアニメの中の千歌のこういうセリフです。

    何もないはずなのに、いつも心に灯る光。この9人でしか出来ない事が必ずあるって信じさせてくれる光。私たちAqoursはそこから生まれたんだ。

    この言葉は作品の制作においても言えることだったのだと気付かされます。設定資料の中のまだ誰もいない校舎にも、この街に流れる穏やかな空気や、陽の光を受けた海原の煌めき、岬を駆け抜ける潮風の音と香りが、細やかに写し取られ表現されていました。それらは元からここにあったけれども、多くの人が気付かず通り過ぎていたものです。この街でしか生まれ得ない物語を創るために、この街が舞台として選ばれたことの奇跡を改めて感じるとともに、この物語を通じて様々な景色に立ち会ってきたあとで、この街でその始まりの過程を見ていることもまた、奇跡のように思えました。

    最近はニジガクのアニメも相当に楽しませてもらっていますが、やはり自分のホームはここですね。これほどまでに熱をもって真剣に関わりをもった作品は後にも先にもこれだけだと思います。

    展示会見た後は平町の眞鯛でコース頂きました。すぐに酒が回ってまともな写真が撮れていない。

    出汁がうますぎて煮えている出汁しか撮っていない

    お造りはもちもちかつ上品な味わい、柔らかな身によく味が染み込んだ塩釜焼きも頂きつつ鯛しゃぶになだれ込み、最後は昆布の香り高い出汁をかけての鯛茶漬けでシメ。流れが完璧すぎました。

    次の日はぼちぼちな時間に出かけてバス乗って内浦へ。とりあえずいけすやでテイクアウト鯛めし弁当。また鯛!ごはんにも良い味がついています。湾を隔てた長井崎を望みつつ。

    おなじみの松月さんでいつものみかんタルト。

    あとは淡島でマリンパーク見てから、島の裏で黄昏時の海と空を眺めているだけで時間が経ちました。

    こんなふうな「何もしない」ができる場所ってなかなかないのよね…今年はずっとこんな時間を求めていたのかもしれない…

    2日間ラストは上土商店街まで戻って浜忠で上天丼。うんまかった。

    というわけで珍しくおひとりさまじゃない沼津行き、歩いて食べて充実、良い感じに2020年が納まりました。また期間置かずに来たい所存。

  • 2020終わり

    2020終わり

    何もしていなかった1年が終わり。というのは簡単ですが、何もないなりに楽しく過ごせてはいたような気はします。イベントやコンサートがないことにフラストレーションは溜まっていたのは確かですが、無くても生きていけてしまうし日々は過ぎていくんですよね。その中で日々を充実させるために、この数年できていなかったこともいくつかしたり、それすらもできない時期はせめて楽しいと自分を勘違いさせていました。

    それとは別に、今年30歳になったこともあり、自分の人生の終わり方について考えるようになった1年でもありました。以前、「週の5/7は死んでる」みたいなことを書いたと思いますが、はっきり言って20代のほとんどはムダな時間でした。その結果として、たとえ明日人生が終わったとしてもそれはそれで、と思えてしまう程度の人生になっていると感じます。過去は過去でやり直せるわけでもないので、これからの10年で少しでも終わり方の見通しぐらいはつけられるようにはしたいというのを目標にしようと思います。上の「この数年できていなかったこと」のいくつかは、そのための行動の手始めです。

    おたく的な話をすると、推しメンに実際に会えた機会は半分以下になりましたが、SHOWROOMとかお話し会を通じてではありますが、去年より推しメンと確実に仲良くなれたことが嬉しかった1年です。SHOWROOMの個人配信とかは、手軽に勘違いするにはちょうど良いツールで。そうそう、この1年の中でAKB48の活動は自分にとっては「ちょうど良い」ものでした。3月以降、多くのメジャーアイドルの活動の先行きが見えなくなる中で、YouTube配信をバラエティ豊かな企画とともに積極的に行っていましたし、他方、多くの地下アイドルがやっていたような先着のオンライン特典会のような地獄を見ることもありませんでした。そのうちに劇場公演やお話し会、SWTのトークイベントも始まり、以前ほどではないけれども近い水準にはアイドルを楽しめているとは思います。せめてこのレベルは続けてほしいけれども。

    というわけで2020年ありがとうございました。来年もここに何かしら書いていきます。