太田剣カルテット feat.和泉宏隆 @御茶ノ水NARU

和泉宏隆さんがこのあいだ自分のトリオでのライブをYouTubeで配信していたのがとても良かったので久しぶりにライブ行きたいなーと思ってて、近場のライブ探していたら最近太田剣さんのライブに参加しているのも知り、という流れで来てみました。サックスも聴きたかったのでよかった。

写真ないけどソーセージがめちゃくちゃうまかった

19時から開演。太田さんの前説によれば、和泉さんはゲスト扱いではあるもののがっつりフルで参加しているようです。緊急事態宣言の只中で作ったという太田さんのオリジナルSong for The New Lifeがオープニング。コード感やメロディが初期のパット・メセニー・グループを思わせる雰囲気で、壮大さと開放感が心地いい曲です。そんなことを思っていたら、和泉さんのピアノはライル・メイズに聴こえてくるし、PRISMの岡田治郎さんのフレットレスベースはマーク・イーガン…いや、Bright Size Lifeのジャコにも聴こえてきたぞ?(笑)岡田さんのベースがとにかくグイグイ動きながらグルーヴを先導していてめちゃくちゃ好み。聴いててついつい身体が反応してしまう。和泉さんのピアノ、河村亮さんのドラムも含めてバンド全体が高まったところで太田さんのサックスソロ。ソプラノの音色が驚くほど美しい。この柔らかに空を突き抜けていくような爽快感はRTFカモメアルバムにおけるジョー・ファレルのソプラノを彷彿とさせます。リズムセクションの熱量はますます上がって、グルーヴが激しく煽り立てる中でソロもピークを迎えていく。1曲目から充実のプレイで、聴いてる自分もなんだか嬉しくなってきてしまいました。

2曲目はSummer Nights。ブラジル風のリズムで一見穏やかな曲なのだけど、河村さんのシンバルの刻みに乗りながら、音楽が情熱的な姿に変化していく。ここでは太田さんはテナーに持ち替え。現代的なトーンとアプローチを基調としつつも、時折ストレートアヘッドなジャズらしさ溢れる熱を帯びたブロウも聴かれる。それを耳にしてなんとなく、先ごろ鬼籍に入ったスティーヴ・グロスマンを思い出していたら、後から太田さんのTwitterにグロスマンについての言及を見つけて1人で納得してた。

続くSo Tender は、これまたライブ前日に訃報が飛び込んできたゲイリー・ピーコックに捧げる選曲。太田さんのサックス入りで聴くと、キース・ジャレットの曲がもつ隠れた暖かみがとても引き立ちます。トリオ編成のオリジナルとはまた違った楽曲の姿が見えてくる。

続いては「皆さんお待ちかねの」(太田さん)和泉さんのオリジナル楽曲。わかりやすくT-SQUAREの曲かなあと思いきや、須藤満さんとのデュオでやっていたRain Danceという意外なところでした。譜面が残ってないので太田さんがこの日のために一から起こしたとのこと 。実に和泉さんらしい、メランコリックなメロディが美しいバラード。太田さんはこの曲ではアルトなので、T-SQUAREっぽい感じも当然出てきます。なんでもなさそうなアルペジオであってもとても歌心を感じる和泉さんのピアノ。ロマンチシズムだったり孤独感だったり、常に人の心に直接響くものを感じさせているなーと。楽曲を聴いてもプレイを聴いても、その部分がやはり一貫しています。対する太田さんのアルト、クライマックスに聴かれる高音のニュアンスがとても切なく、しかし甘くなりすぎないという絶妙なバランスをもって楽曲のイメージを広げていました。

「伊東たけしさん、本田雅人さんのイメージもありますけど、和泉さんの曲ってアルトサックスが合いますよね。これは考えて作ってるんですか?」(太田)

「なーんにも考えたことない」(和泉)

ラストはミルトン・ナシメントのVera Cruz 。個人的にはこの曲といえば、高校時代にパット・メセニー/ブラッド・メルドー・カルテットのライブで聴いたときの印象がずっと強かったりする。その時はジェフ・バラードが大暴れだったのだけど、この日もやはり河村さんのドラムが凄まじい存在感を放つというデジャヴ。常にソロを取っているんじゃないかと思うほどの多彩なドラミング。楽曲を通してドライブ感がずっと最高潮のままです。ピアノ、ベース、サックスと怒涛のソロが続いて、それらを受けてのドラムソロでドカドカビシッと締める。やっぱりこういうのがジャズのかっこよさ!完全燃焼して1stセット終演。

予約した時点では1st/2ndで入れ替え制と聞いてたので1st終わった後にお店出ちゃったんだけど、後でTwitter見たら入れ替えなしに変更になってて、もったいないことをした…。この日はレギュラーバンドでない良さがあって、プレイヤー各々の個性が分かりやすく発揮されてたのが本当に面白かったですね。特にベースがエレクトリックであることによるアンサンブルの強度が音楽全体に活かされていたように感じます。太田さんと和泉さんは色んなフォーマットで共演しているようなので、また近場来てくれないかしら。

SETLIST

  1. Song for The New Life
  2. Summer Nights
  3. So Tender
  4. Rain Dance
  5. Vera Cruz

音楽2018

このあいだ言っていた、おととしというか去年の初めに書きかけてたものちょっと修正したものです。本当は10枚ぐらいセレクトしてたんだけど…


なんかあんまり肝心なアルバムを聴いていない気もするけれど久しぶりに。

音楽2018

Fred Hersch Trio / Live in Europe (Palmetto, 2018)

アニソンとかアイドルソングばかり聴いてる自分をジャズに引き戻してくれる作品というのが定期的にあって、過去にはポール・モーシャンとか、アトミックのアルバムがそうだった。今年(2018年)の場合はそれがフレッド・ハーシュだった、という。グラミーも受賞したピアノトリオ作品。モンク、ショーターといった歴史を参照しながらもフォームは変幻自在。三者相互の意識の交換が、じつに有機的に、高いテンションを伴って行われる様が記録されていて、これがジャズとして面白くないわけがなかった。絶えず姿形を変えすべてを吸収していく一つの新しい生物のように、そのプロセスそのものこそが現代のジャズであるかのように。ジャズが謎の音楽と化した時代、ピアノトリオという形式自体がトラディショナルに感じられたりもする時代にあっての、ピアノトリオ作品の新しい指標、としたい。

Duo Gazzana / Ravel, Franck, Ligeti, Messiaen (ECM New Series, 2018)

ECMの録音に聴かれるあの深い残響。あれがお腹いっぱいに感じる時期もあったりする。のだけど、このデュオ・ガッザーナの作品集には久々に録音でやられてしまったという感があった。カルティエ=ブレッソンによるパリ・シテ島のジャケット写真(ビル・エヴァンスのThe Paris Concert 1と全く同じ引用である)に目を引かれながら再生すると、1曲目のラヴェル「遺作ソナタ」から、ほとんどオフマイクで録音されたような、空間を経由したピアノの音が聞かれて、そのままジャケットの中の朝まだき霧中の世界へ自分を連れて行ってくれるのである。ラヴェル最初期の作品でもあり、フォーマットとしてはまだ19世紀音楽ではあるが、旋律の動きや和声感覚はすでにラヴェルらしいもので、これに続くフランクの牧歌的なソナタと、鋭くアブストラクトな美しさをたたえるリゲティやメシアンの作品とを繋ぐものでもある。演奏そのものも素晴らしければ、プロデュースやエンジニアリングにもますます感服。

Rafiq Bhatia / Breaking English (Anti, 2018)

自分が音楽を聴くときに、ざっくり「好きな音楽だ」と感じるある指標として「ジャズ耳で聴ける」というのがあるのだが、それはリズムとかインプロヴィゼーションといった要素が織りなす一つのイディオムを感じられるかどうか、みたいな話である。上にも書いたように、2010年代においてジャズはほんとうによくわからない音楽になっているので、「話が通じるか」によってジャズ耳で聴けるかそうでないかを判断しているようなところがある(これは音楽そのものの良し悪しには関係はない)。

そんな2010年代も佳境に入った中での、ラフィク・バーティアのこの作品はある意味決定的だった。何が決定的なのかというと、聴いてみてもまったくジャズのように思えないのに、ジャズの語法で聴けてしまうのである。単にエレクトロニカ/ポストロック的というだけでは到底片付けることが出来ない緻密に構築されたサウンドスケープ、縦横無尽に駆け巡るビート、その根底に静かに響くノイズ、そしてカルナティック・ヴァイオリンの音色…あらゆる「情報」が去来してなお、この音楽をジャズとして理解してしまうのは、ジャズ・ギタリストが創った音楽であるという観念によってのものだろうか。むろんそれだけではないはずなのだが、結局「よくわからない」。そのわからなさがジャズを更新させていく、のかも。

おんがく2019

16年間で初めて一つも記事を書かない月になりそうだったので、久しぶりに1年の個人的によく聴いた音楽の話をします。5年ぶりぐらい?いつのまにか2010年代は終わってしまいました。去年2018年の分もだいたい書いたんだけどなぜか日の目を見ていないので、そのうち上げるかも。

Tatiana Nikolayeva / Shostakovich: 24 Preludes and Fugues, Op.87 (Melodiya&Venezia, 1987)

しばらく続いていたバッハ・アレルギーを克服したタイミングで、このショスタコーヴィチの大作を聴いてみようと思った。初演者であるニコラーエワによる2つめの録音。バッハの形式を借りてはいるが、深遠な精神性を纏った現代的な旋律が、幾度も顔を変えながら続いていく。絶対音楽としての精緻な構造美の内に、作曲者が隠した複雑な心の機微をたしかに読み取ることができる。ニコラーエワのタッチは、必要以上の情感を廃した厳然さを保ちつつ、鳴っているピアノを今ここで聴いているような、開かれた親しみやすさと近さも併せ持つ。彼女のピアノを案内役として、あたかもパズルを解くように、築かれた迷宮の扉を順に開けていくように、淡々と記憶を紐解いていく静かで心地よい営み。小さな部屋でただひたすらに聴いていたい。

Danish String Quartet / Prism II (ECM New Series, 2019)

デンマーク弦楽四重奏団の作品集。とりわけ、シュニトケ「弦楽四重奏曲 第3番」をよく聴いていた。アルフレート・シュニトケという作曲家は劇的なまでに不安定で、同じ楽曲、同じ楽章の中でも目まぐるしくアメーバのようにその曲調を変えていくものだから、「そこでキレる!?」みたいなことがままある。激情の嵐と濁流、そのあわいに凪を垣間見て、すぐまた深い絶望の荒波に飲まれていく。自分が不安定なときに聴くと、急激な波と自分とが共振して、うねりを伴う不思議な感覚に陥ってしまう。一見して混沌な面もあるが、様式も技法も表現のための道具にすぎないという点は、他の20世紀音楽にない明快さだと思う。

バッハとベートーヴェンにシュニトケがサンドされるというこのアルバムの構成は、前作Prism Iを踏襲している。ただし前作で挟まっていたのは、やはりひたすらに不安定なショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲 第15番」だった。このカルテットがアルバムの中で浮かび上がらせようとしたものが見えてきて面白い。

Fumio Yasuda / Forest(Winter & Winter, 2019)

上からの流れで、自分の中で室内楽的な響きを求めていたところがあって、ジャズを聴くにしてもそういう方向に引っ張られていたのでした。ピアノとベースが空間をつくり、ヴォーカルにリード(クラリネット)が絡む、個人的に好きな組み合わせ。Winter & Winterというレーベルの作品は長いこと聴いているけれど、レーベルの看板アーティストの一人である安田芙充央の作品は意外と通過していなかった。優れたコンポジションもさることながら、 具象と抽象を織り交ぜながら深い森の情景を描き出す独特の語法のピアノが心地いい 。Akimuseによるヴォーカルは何語でもない言葉で歌われているようで、ピアノとともに音楽全体の浮遊感を演出している。むしろ、その浮遊感に任せて漂うヨアヒム・バーデンホルストのクラリネットのほうが「歌」なのかもしれない。演奏がフリーキーな方向へ振れる場面もあるが、受ける温度感は一定して低く、霧の中で揺らめく冷たい炎を想起させる。そして、「室内楽的」とは書いたものの、研ぎ澄まされた緊張感をもってこの音楽の語り口を最終的にジャズたらしめているのは、井野信義のベースによって、だろう。同居する浮遊と緊張のバランスに、ステファン・ウィンターのサウンドプロデュースの妙を見る。

バーデンホルストは色々な作品に顔を出していて、プリペアドピアノを含むトリオ、Watussiも素晴らしい。安田の過去の作品も聴いてみたくなった。