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2,3年前にまとまってフィルムで写真を撮っていた時期があって、その頃のフィルムをいくつか冷蔵庫に放置したままだったものを現像する。生活圏に写真店がないというのもあったし、当時は毎週のように遠出をしていて自転車操業みたいな生活だったので、ずっと後回しにしていたら数年経ってました。白黒フィルムのほうが多かったのでお盆の期間を挟むと2週間ぐらいかかると言われて、腰を上げるタイミングも完全に間違えている。
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上がってきたものを見て、思わず目を疑ってしまいました。身の回りに関する記憶力には自信があったはずなのに、どういう意図で撮ったのかも分からなければ、どこで撮ったのかも分からない、そもそも撮った覚えもないような写真がかなり多いわけです。ちょっと混乱を来すレベルで。断片的なイメージを辿りながら朧げに記憶を補完はできるのだけど、それでも分からないことが多すぎる。
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面白いのが、時間が経っていることに加えて、なんだか自分にしては上手く撮っているように見える写真が多いこともあって、確実に自分で撮っているにもかかわらず、ほとんど自分の手を離れたような、自分ではないJohn Doeが撮ったものように感じられることです。すると同時に、銀塩写真のフィジカルな生々しさとともに、都市を彷徨する何者でもない誰かが、いつかどこかで記録したものとしての、ある種の匿名性の迫力のようなものを纏い始める…というあそび。
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