両国界隈

昭和の日は横綱審議委員会稽古総見の一般公開を見がてら、久々に両国の界隈を軽く歩いてみる。数年前はけっこうこのあたりをよく散歩していて、錦糸町から湾岸地域のほうまで行ったこともありましたかね。

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稽古総見は1年ぶりですが、今回は始発待機とかはやめて9時半ぐらいから社長出勤。もう幕内の稽古も後半になっていて、白鵬が幕内力士に稽古つけているところでした。去年の今の時点では関取ですらなかった遠藤が大歓声をもらっていましたが、横綱に歯立たず。とはいえ、白鵬の稽古ぶりもどちらかといえば低調。右四つになっても左上手が遅いし、上手を取ってもなかなか寄らず。攻めこまれてから潰すような投げを打ったり突き落としたりで、圧倒するような内容が少なかった。ま、本人からすれば余裕はあるんでしょうが。このあと日馬富士、鶴竜、稀勢の里で申し合いになりましたが、鶴竜もほぼ同じような印象。稀勢の里は相変わらず立合い左差し一辺倒で、相性の良かった鶴竜に分が悪くなっている。一番よかったのは日馬富士じゃないでしょうか。速くて低い。出し投げ切り返しで稀勢の里を良いように崩したのには館内も湧きました。それにしても、今年は両国にぎわい祭りと同時開催ではなかったのに客入りが凄いことになっていたのは驚いた。2階椅子席も半分くらい埋まっていました。3年前は1階マスすら埋まりきっていなかったのに…。夏場所チケットも好調なようだし、最近の相撲景気の盛り上がりはすごい。

旧安田庭園。あいにくの曇り空。
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しばし歩いて亀沢にある野見宿禰神社。国技館からはちょっと微妙な距離にあるので今まで行けてなかった。
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明治期に近くに部屋を構えていた初代高砂浦五郎が明治18年に創建した神社で、現在は相撲協会の管理下にある。社殿は2代目で、震災、戦災で焼失ののち、昭和27年から28年にかけて再建されて今に至る。社殿の中は閉鎖されていて入れなかった。案外敷地が狭くて、奉納土俵入りなんてやると相当窮屈なことになる気がしないでもない。
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横綱力士碑は戦後の昭和27年11月に建てられたもので、富岡八幡宮のものより新しい。1つ目の石碑は初代明石から46代朝潮まで。2つ目は47代柏戸から70代日馬富士まで刻まれている。71代鶴竜の名はまだ無かったが、いつも東京場所の前に例祭を執り行うことになっているので、そのタイミングで刻まれるはず。存命者の名前は赤く、ごく最近の物故者である45代若乃花、48代大鵬、59代隆の里の名前は黄色く塗られている。
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東西力士会碑。31代横綱常ノ花の筆によるものだが、石碑には27代とあり、つまり現在加えられている明治大正期大阪相撲の4人の横綱がまだ東京相撲に公認されていない時代に刻まれている。おそらくちょうど東西合併(大正15年)の時期のものじゃなかろうか。
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境内を囲む玉垣には相撲関係者と思しき名前が刻まれているが、分かったのはこのあたり。出羽海秀光(31代横綱常ノ花)、春日野剛史(27代横綱栃木山)、立浪弥右衛門(小結緑嶌)、伊勢ヶ濱勘太夫(関脇清瀬川)、時津風定次(35代横綱双葉山)。この5人は昭和27年再建開始当時の大日本相撲協会理事長と取締の面々。緑嶌の立浪がまだ存命だったのが意外でしたが、調べるとちょうどこの年の12月に亡くなっており、28年6月の完成後の姿は見ることがかなわなかったことになる。

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知ってる人は知ってる角界関係者御用達店。

両国駅に戻った後はまた国技館へ戻って、相撲博物館へ。本当は稽古見て行きたかったのだが、まだ開いてなかった。「江戸時代の横綱と雷電」と題した展示で、時代が時代だけに珍しいものが多かったと思います。10代横綱雲龍の年寄時代の写真は初めて見た。
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なんか博物館出たら歩いてたきせのん。

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