富岡八幡宮行った

ちょっと前ですが(11/19)、錦糸町からちょっと運動がてら徒歩で富岡八幡宮まで行ったときの写真。なぜ富岡八幡宮なのかというと、白鵬の連勝が15日に止まったので、一回超五十連勝力士碑を見とくかと。

錦糸町で降りてまずは駅のベンチで飯。東京は座るとこもないよ。

錦糸町といえば秋葉原とか御茶ノ水に行くのにだいぶお世話になってるけど、今までトリフォニーホール行ったぐらいで、あまり降りたことはなし。あとは両国から歩いたぐらいかな。昔ながらの地域だと思うんだけど、駅前はさすが副都心、立派に栄えている。

ちょっと外れれば静かな道に出る。どうせ歩くなら静かな道のほうがいいんだけど、大通りのほうが道は分かりやすいジレンマ。

で、細めの道を歩いてる道中でいくつも橋を渡った。古い橋もある新しそうな橋もある。細い川だか水路だかがたくさん。どこの川から流れてるんだろうなあとか思いつつ、地図を見ても入り組んでてややこしい。後から考えたらこのへんはもう埋立地なわけで、道理で堀みたいに綺麗に流れてるわけだと。

せっかくなので橋の名前を撮っておいた。どんなに小さい橋にも名前がある。隅田川とか神田川とかの橋もそうなんだけど、東京のこの地域の一つの風景って感じがして好きなんですよね。

小さいけどこれも橋。

この八幡橋を渡れば神社の裏の入口。この裏の入口から入ってすぐの参道に横綱力士碑・出羽一門友愛之碑・超五十連勝力士碑がある。



横綱力士碑は3つの大石碑に別れていて、現在は中央と右側の石碑に歴代の横綱力士の名が刻まれている。中央の石碑の裏に初代明石から45代若乃花と無類力士雷電、右の石碑の表に46代朝潮から66代若乃花、その裏に未だ記憶に新しい67代武蔵丸、68代朝青龍、69代白鵬の3人の名がある。12代陣幕が建てたこの石碑群で最も古い中央の石碑はだいぶ年季が入っているようで、刻まれた文字が目を凝らしてやっと見えるぐらい。左右の石碑は後から建てられたのか、側面に中曽根康弘なんて名前が刻んであったりする。
出羽一門友愛之碑は昭和の後半に建てられたらしく、石碑には天龍三郎の文字。はてと思ったら、やはり春秋園事件を起こした天竜が書いたものらしい。達筆で知られていたそうな。

超五十連勝力士碑は昭和の末期に建てられたもので、江戸の谷風63連勝から千代の富士の53連勝まで5人の名がある。11角形になっていて、これも新しい碑のせいか、某スポンサーのマークが下のほうに刻まれてたりする。白鵬を含めると空きはあと4人なわけですが、自分の生きてる間には埋まらないのは確か。白鵬の連勝がストップしたので、間もなく白鵬の名が刻まれるものと思っていたら、その力士の最高の記録を刻むことになるそうで、どうやら刻まれるのは引退後ということになるらしい。少なくとも5年は後でしょうか。

さて目当てのものもじっくり見たし、ひっそりお参りして帰るか、とか考えて本殿のほうに出てみたら、思いの外賑わっている。とりあえずお参りはして、表参道のほうを見てみると出店も出ていて良いにおい。ちょうど酉の市の日だったみたい。全然知らんかった。

出店の並ぶ表参道を歩いていると、もう一つの目当てが。大関力士碑。歴代の最高位大関力士の名が時代別に刻まれているが、どういうわけか平成以降は96年引退の霧島で打ち止めになっていて、貴ノ浪・千代大海・出島・武双山・栃東・琴光喜なんかの名前はない。刻むスペースが足りないのかな。

すぐ傍には強豪関脇力士碑というのがあって、こちらはだいぶ前に打ち止めになってるみたい。最近で言うと若の里とかでしょうか。なぜか力道山の名前が白くなっている。もう片方には巨人力士碑。2m超の巨人の名がその手形とともに刻まれている。曙の名前が入るという話があったとかなかったとか。琴欧洲はひょろいからダメだな。

神社を出たあとはもうちょい歩いて月島のあたりまで行きたかったんですが、もう暗くなりそうだったので断念。越中島までまた1kmぐらい歩いて京葉線で帰りました。墨田区~江東区で計5kmぐらい歩いたかな。たまに京葉線乗ると景色が総武線と違って良くて実に清々しい。

それにしても、九州場所2日目の白鵬-稀勢の里はリアルタイムで見てて、もうぶったまげたという他ない。まさか寛さんが。まあ名古屋・秋とかなり善戦していたのは事実なんですが、先場所の横綱戦以外の情けなさといったらもう。おかげで今まで寛さんにだいぶ御執心だった某貴親方まで連勝ストッパーは安美錦とか言い出していたので、寛さんは24にしてもう落ち目に入ったのかと思っていましたよ。でも単純に横綱戦の内容を見るとすれば、連勝をストップに一番近かったのはやはり寛さんだったわけで、ストップしてから納得。まぁ何が言いたいかと言うと寛さんは大横綱になるフラグしか立ってないんだから頑張って上行ってねということです。

やきう

この一ヶ月ちょいというものの、TVでプロ野球ばっかり見ていたわけですが、NHKプロ野球のテーマソングがなかなかにツボ。スポーツショー行進曲じゃなくてハイライトとかで流れるアレね。

ブラスとストリングスがコテコテなメロディを取ってキメる曲なんですが、最初はハイライトで流れてるの聴いてなんじゃこのクサい曲は・・・とか思ってたら、何戦か見てるうちに耳から離れなくなってしまったというね。よくよく聴いてみると超好みの曲なんですけど!と後から気付くのであった。

調べてみると今年からこの曲になったようで、その名もBaseball Legendという、NHKプロ野球のためのオリジナルとのこと。NHKは大相撲中継のTHE千秋楽といいなんでこうコテコテな名曲ばかり作るのか。だがそれがいい。

しかしマリーンズのCS・日本シリーズ制覇はアツかったですね。この勝負強さには感服。というかまあ、CSからずっと見てたのもマリーンズが勝ち進んでたからなんですが。いつも熱心に応援してるというわけではないんですが、やはり地元民ですので嬉しいものです。

気がついたら

1ヶ月ぐらい経ってましたね・・・

■秋場所
24日は秋場所13日目を観に国技館へ行ったりしていました。

この日に白鵬が60連勝ということで、さすがに結びは力が入りました。上手の探り合いまではいい勝負でしたけど、終始白鵬のペースだった印象。こいつつよすぎ。そういえば白鵬と把瑠都の対戦は春も観ていたのでした。あのときはあっけなかった。

その他幕内の取組というと、栃煌山と阿覧の関脇対決は割と楽しみにしていたのですが、阿覧の暗黒相撲が炸裂して一瞬で終わりました。一回つっかけてから変化はさすがにタチ悪くないすか。 栃煌山はまあまずは関脇でなんとか頑張って勝ち越してくれ、ぐらいの気持ちでいたのですが、まさか新関脇で11番勝つとは。ゆるゆると平幕陥落が決まった某寛さんの面目が立ちませんよ。 あと、魁皇への声援は全力士の中でも桁違い。取組のほうはこれまたあっさりで残念でしたが、それでも凄い盛り上がり。翌日の勝ち越しの一番だったら涙涙だったろうなぁ。中継で観ていてもぐっと来ましたもん。寛さんには悪いけど。

今回は11時半ぐらいに入って序二段あたりの取組からずっと見ていたのですが、幕下以下の取組の顔ぶれもこの日見ようと思った決め手だったり。 夏に序二段優勝の齊心に今年春入門の達、照強。齊心は全勝をかけましたが惜しくも敗れる。達は勝ってはいたけど土俵際逆転という感じだったので、本来の相撲は見られず。

幕下取組のちょっと前に地下でちゃんこ食ったり相撲博物館を見たり。博物館の展示は「記録を作った力士たち」。フライヤーの魁皇が実に格好良いですね。双葉山の化粧まわしだとか朝青龍の横綱だとかが置いてあって目から鱗。大鵬と千代の富士イケメン。 幕下の取組では普天王とあのお                              方の負け越しを見届け増した。あと高安の幕下優勝も。やっと平成生まれの関取誕生ということで、めでたいですね。

それと、朝青龍の断髪式は涙涙で見送りました。今こんなに大相撲を見ているのは彼に拠るところも大きかったわけですし、行きたかったんですけどね。ここ三場所一人横綱が続いてそろそろ慣れたかと自分でも思っていましたが、やっぱり今になって改めて寂しく感じました。本場所が面白くなくなるとか、そんな理由じゃなく、思っている以上に私は彼を愛していたらしい。 動画で一部始終確認はしましたが、この場にいたかったと思うばかり。断髪後のコメントに涙を禁じ得ません。未だに毀誉褒貶の激しい人ではあるけども、こんなに愛された横綱も、愛されたかった横綱もいないと私は言いたい。ありがとうドルジよ。

前日に千代大海も断髪。千代大海といえば、まだほとんど相撲のことなんて知らない頃に若貴、曙、武蔵丸と並んで名前を知っている力士でした。ある時まで彼のことを横綱だと思っていたぐらいですからね。 初優勝のときだったか、2回目の優勝のときかのどっちかが、ろくに中継を見ていたわけでもないのに強烈に印象に残っています。某所では幕内最高優笑力士として名を馳せた彼ですが、今回だけはチヨスと呼ばずに送り出してあげましょう。

しかし、去年の秋場所の初日に国技館に行った時は朝青龍も千代大海も琴光喜もいたというのに。あれが1年前とは。いやはや。