音楽2020

毎年3月ぐらいに書き始めるのですが、家にいて暇なので今年はちょっと早かった(遅い)。いつも以上に自分の知っている周辺の音楽しか聴いていなくて、趣味の硬直を感じているのではあります。というわけで以下2020年に聴いていたあれこれの記録。

2019 / 2018 / 2014 / 2013 / 2012 / 2011 / 2010 / 2008

Dreamt Twice, Twice Dreamt / Ingrid Laubrock (2020, Intakt)

全く同じ曲をチェンバーオーケストラを加えた中編成とスモールコンボとでそれぞれレコーディングしたものを収めたダブルアルバム。1枚目はドローン的効果を醸すチェンバーオーケストラの色彩感と、現代音楽を通過したコーリー・スマイスの先鋭的なピアノとのコンビネーションが美しく、2枚目はサム・プルータのエレクトロニクスが音響空間を支配しつつ、イングリッド・ラウブロックをはじめとするソロイスト間の対話が複雑なコレクティブ・インプロヴィゼーションを形成する。各々の要素を見ればカオスだが、表象されるテクスチュアは非常に整然と澄んだものとして受け取られるあたり、ラウブロックの意図したサウンドコンセプト/デザインの巧みさに舌を巻く。大作ではあるものの、理詰め感が刺激的で心地いい。気が付いたら通しで聴いてしまっていることが多い気がします。

Recognition / Sera Serpa (2020, Biophillia)

いつになってもマーク・ターナーのテナーが自分を宇宙遊泳に連れて行ってくれる。恒星のようにカラフルであり、ブラックホールのように虚無的でもある。ピアノとハープが音像を張り詰め、サラ・セルパのヴォイスが幻影のように浮き沈み時には語りかけるかたわらで、ターナーがいつものように向こうの世界に行っている。ヴォイスとサックスが全く別の方向に向いていそうで、しかしとても親和性をもって響いているという、不思議な調和と均衡が聞かれる。サックス奏者というよりは、ひとつの特異なサウンドの担い手としての重要な存在感を改めて感じてしまった次第。

Hero Trio / Rudresh Mahanthappa (2020, Whirlwind)

2曲目に取り上げられているスティーヴィー・ワンダーの”Overjoyed“にやられてしまった。朗々としたメロディが変拍子の中で不穏さを孕んだまま続いていたのが、唐突に爆発し苛烈な演奏に変貌する。その移行があまりにもシームレスでスリリング。チャーリー・ヘイデンが”The Ballad of The Fallen” (1982)の最後の曲でやっていたようなシュールな諧謔味ではなく、シリアスに外側に向かい逸脱していく……というよりは楽曲のイメージを拡張していく感覚が楽しい。最初すっかり聞き流していましたが、1曲目のチャーリー・パーカーからこうなんですよ。全編カヴァーだからこその味わいのあるアルバム。

Color of Noize / Derrick Hodge (2020, Blue Note)

もはやメジャーアーティストになったデリック・ホッジだが、この人が作ったアルバムを聴くたびに思うのは「自分と音楽の趣味が似てるのではないか?」ということで、自分にとってはスッと入ってくるので、なんとなく吸い寄せられるように聴いてしまう。サウンドそのものも肌に合うし、ウェイン・ショーターの”Fall”を取り上げているのなんて最高でしょう。ツインドラムの強靭なグルーヴの波の上に、重厚かつ洗練されたツインキーボードのサウンドを敷き、ホッジのベースが自由に歌う。多元的な音楽的ルーツからなる複数の要素を凝縮して落とし込み、現代的なサウンドプロデュースを施した文字通りの「フュージョン」音楽が心地よい。

The Complete On The Corner Sessions / Miles Davis (2007, Columbia)

これはわたしが高校生のころに出たボックスセットで、当時めちゃくちゃ欲しかったのが今やSpotifyでいくらでも聴けるので、夏の間とかはこの(CDにして6枚にもなる)ダルく壮大なファンク楽曲集をただただ流していたのでした。マイケル・ヘンダーソンの泥臭く粘っこいベースリフとレジー・ルーカスのワウワウカッティングのサウンドが癖になり、それだけで何十分と聴いていられる。もちろんデイヴ・リーブマンやソニー・フォーチュンといった優れたソロイストのプレイも楽しめます。その中にあって、上に挙げた要素を全て飲み込み、垂直的なリズムを執拗に反復させながら、匿名化された音を重ね合わせた結果、まったく新種のトリップ音楽が出来上がってしまった”On The Corner” (1972)のセッションは極めて異質である(”On The Corner Sessions”と銘打たれているにもかかわらず)。これを若者向けのダンスミュージックとして作ったデイヴィスはおかしい。

太田剣カルテット feat.和泉宏隆 @御茶ノ水NARU

和泉宏隆さんがこのあいだ自分のトリオでのライブをYouTubeで配信していたのがとても良かったので久しぶりにライブ行きたいなーと思ってて、近場のライブ探していたら最近太田剣さんのライブに参加しているのも知り、という流れで来てみました。サックスも聴きたかったのでよかった。

写真ないけどソーセージがめちゃくちゃうまかった

19時から開演。太田さんの前説によれば、和泉さんはゲスト扱いではあるもののがっつりフルで参加しているようです。緊急事態宣言の只中で作ったという太田さんのオリジナルSong for The New Lifeがオープニング。コード感やメロディが初期のパット・メセニー・グループを思わせる雰囲気で、壮大さと開放感が心地いい曲です。そんなことを思っていたら、和泉さんのピアノはライル・メイズに聴こえてくるし、PRISMの岡田治郎さんのフレットレスベースはマーク・イーガン…いや、Bright Size Lifeのジャコにも聴こえてきたぞ?(笑)岡田さんのベースがとにかくグイグイ動きながらグルーヴを先導していてめちゃくちゃ好み。聴いててついつい身体が反応してしまう。和泉さんのピアノ、河村亮さんのドラムも含めてバンド全体が高まったところで太田さんのサックスソロ。ソプラノの音色が驚くほど美しい。この柔らかに空を突き抜けていくような爽快感はRTFカモメアルバムにおけるジョー・ファレルのソプラノを彷彿とさせます。リズムセクションの熱量はますます上がって、グルーヴが激しく煽り立てる中でソロもピークを迎えていく。1曲目から充実のプレイで、聴いてる自分もなんだか嬉しくなってきてしまいました。

2曲目はSummer Nights。ブラジル風のリズムで一見穏やかな曲なのだけど、河村さんのシンバルの刻みに乗りながら、音楽が情熱的な姿に変化していく。ここでは太田さんはテナーに持ち替え。現代的なトーンとアプローチを基調としつつも、時折ストレートアヘッドなジャズらしさ溢れる熱を帯びたブロウも聴かれる。それを耳にしてなんとなく、先ごろ鬼籍に入ったスティーヴ・グロスマンを思い出していたら、後から太田さんのTwitterにグロスマンについての言及を見つけて1人で納得してた。

続くSo Tender は、これまたライブ前日に訃報が飛び込んできたゲイリー・ピーコックに捧げる選曲。太田さんのサックス入りで聴くと、キース・ジャレットの曲がもつ隠れた暖かみがとても引き立ちます。トリオ編成のオリジナルとはまた違った楽曲の姿が見えてくる。

続いては「皆さんお待ちかねの」(太田さん)和泉さんのオリジナル楽曲。わかりやすくT-SQUAREの曲かなあと思いきや、須藤満さんとのデュオでやっていたRain Danceという意外なところでした。譜面が残ってないので太田さんがこの日のために一から起こしたとのこと 。実に和泉さんらしい、メランコリックなメロディが美しいバラード。太田さんはこの曲ではアルトなので、T-SQUAREっぽい感じも当然出てきます。なんでもなさそうなアルペジオであってもとても歌心を感じる和泉さんのピアノ。ロマンチシズムだったり孤独感だったり、常に人の心に直接響くものを感じさせているなーと。楽曲を聴いてもプレイを聴いても、その部分がやはり一貫しています。対する太田さんのアルト、クライマックスに聴かれる高音のニュアンスがとても切なく、しかし甘くなりすぎないという絶妙なバランスをもって楽曲のイメージを広げていました。

「伊東たけしさん、本田雅人さんのイメージもありますけど、和泉さんの曲ってアルトサックスが合いますよね。これは考えて作ってるんですか?」(太田)

「なーんにも考えたことない」(和泉)

ラストはミルトン・ナシメントのVera Cruz 。個人的にはこの曲といえば、高校時代にパット・メセニー/ブラッド・メルドー・カルテットのライブで聴いたときの印象がずっと強かったりする。その時はジェフ・バラードが大暴れだったのだけど、この日もやはり河村さんのドラムが凄まじい存在感を放つというデジャヴ。常にソロを取っているんじゃないかと思うほどの多彩なドラミング。楽曲を通してドライブ感がずっと最高潮のままです。ピアノ、ベース、サックスと怒涛のソロが続いて、それらを受けてのドラムソロでドカドカビシッと締める。やっぱりこういうのがジャズのかっこよさ!完全燃焼して1stセット終演。

予約した時点では1st/2ndで入れ替え制と聞いてたので1st終わった後にお店出ちゃったんだけど、後でTwitter見たら入れ替えなしに変更になってて、もったいないことをした…。この日はレギュラーバンドでない良さがあって、プレイヤー各々の個性が分かりやすく発揮されてたのが本当に面白かったですね。特にベースがエレクトリックであることによるアンサンブルの強度が音楽全体に活かされていたように感じます。太田さんと和泉さんは色んなフォーマットで共演しているようなので、また近場来てくれないかしら。

SETLIST

  1. Song for The New Life
  2. Summer Nights
  3. So Tender
  4. Rain Dance
  5. Vera Cruz

音楽2018

このあいだ言っていた、おととしというか去年の初めに書きかけてたものちょっと修正したものです。本当は10枚ぐらいセレクトしてたんだけど…


なんかあんまり肝心なアルバムを聴いていない気もするけれど久しぶりに。

音楽2018

Fred Hersch Trio / Live in Europe (Palmetto, 2018)

アニソンとかアイドルソングばかり聴いてる自分をジャズに引き戻してくれる作品というのが定期的にあって、過去にはポール・モーシャンとか、アトミックのアルバムがそうだった。今年(2018年)の場合はそれがフレッド・ハーシュだった、という。グラミーも受賞したピアノトリオ作品。モンク、ショーターといった歴史を参照しながらもフォームは変幻自在。三者相互の意識の交換が、じつに有機的に、高いテンションを伴って行われる様が記録されていて、これがジャズとして面白くないわけがなかった。絶えず姿形を変えすべてを吸収していく一つの新しい生物のように、そのプロセスそのものこそが現代のジャズであるかのように。ジャズが謎の音楽と化した時代、ピアノトリオという形式自体がトラディショナルに感じられたりもする時代にあっての、ピアノトリオ作品の新しい指標、としたい。

Duo Gazzana / Ravel, Franck, Ligeti, Messiaen (ECM New Series, 2018)

ECMの録音に聴かれるあの深い残響。あれがお腹いっぱいに感じる時期もあったりする。のだけど、このデュオ・ガッザーナの作品集には久々に録音でやられてしまったという感があった。カルティエ=ブレッソンによるパリ・シテ島のジャケット写真(ビル・エヴァンスのThe Paris Concert 1と全く同じ引用である)に目を引かれながら再生すると、1曲目のラヴェル「遺作ソナタ」から、ほとんどオフマイクで録音されたような、空間を経由したピアノの音が聞かれて、そのままジャケットの中の朝まだき霧中の世界へ自分を連れて行ってくれるのである。ラヴェル最初期の作品でもあり、フォーマットとしてはまだ19世紀音楽ではあるが、旋律の動きや和声感覚はすでにラヴェルらしいもので、これに続くフランクの牧歌的なソナタと、鋭くアブストラクトな美しさをたたえるリゲティやメシアンの作品とを繋ぐものでもある。演奏そのものも素晴らしければ、プロデュースやエンジニアリングにもますます感服。

Rafiq Bhatia / Breaking English (Anti, 2018)

自分が音楽を聴くときに、ざっくり「好きな音楽だ」と感じるある指標として「ジャズ耳で聴ける」というのがあるのだが、それはリズムとかインプロヴィゼーションといった要素が織りなす一つのイディオムを感じられるかどうか、みたいな話である。上にも書いたように、2010年代においてジャズはほんとうによくわからない音楽になっているので、「話が通じるか」によってジャズ耳で聴けるかそうでないかを判断しているようなところがある(これは音楽そのものの良し悪しには関係はない)。

そんな2010年代も佳境に入った中での、ラフィク・バーティアのこの作品はある意味決定的だった。何が決定的なのかというと、聴いてみてもまったくジャズのように思えないのに、ジャズの語法で聴けてしまうのである。単にエレクトロニカ/ポストロック的というだけでは到底片付けることが出来ない緻密に構築されたサウンドスケープ、縦横無尽に駆け巡るビート、その根底に静かに響くノイズ、そしてカルナティック・ヴァイオリンの音色…あらゆる「情報」が去来してなお、この音楽をジャズとして理解してしまうのは、ジャズ・ギタリストが創った音楽であるという観念によってのものだろうか。むろんそれだけではないはずなのだが、結局「よくわからない」。そのわからなさがジャズを更新させていく、のかも。