2週間ぐらい前にTwitterのタイムラインでいくつか見たやつ。そういえば忘れてたけど俺CDを買い集めるのが趣味な音楽オタクだったし、そこそこ選べるじゃん?というわけで流行りに乗っかって選定。
上段左:Somewhere Called Home / Norma Winstone(1986, ECM)
ノーマ・ウィンストンとジョン・テイラーといえばアジマスだが、このアルバムはリード楽器が入ってるのがアジマスより好き(ケニー・ウィーラーが嫌いなわけじゃない)。ピアノ/ヴォーカル/リードという編成は永遠に聴いていけるフォーマットだと思う。泉に流れる水のようにすーっと耳に入ってくるウィンストンのヴォーカルとテイラーのピアノ、トニー・コーのクラリネット/サックス、それぞれが静かに深淵まで沁み込んでくる。至高の心地良さ。しょっちゅう寝る前に聴いてます。
上段中央:The Jazz Composers Orchestra(1968, JCOA)
高校時代に読んだ(今はなんのライターなのかさっぱりわからなくなった)原田和典さんのジャズ本でセシル・テイラーの名演として紹介されていて、その記述がユニークで面白かった。それで実際に聴いてみると、その記述がまったく間違ってないのが余計に面白かったという。たしかにテイラーの手足は「蜘蛛と化している」としか思えないし、「全身から炎をむき出しにしながら」決闘を行っているにちがいない。そのくらい強烈無比な演奏で、今聴いてもその印象は薄れることがない。1970年代のフリー・ジャズのショーケースとしても聞ける。
上段右:I Sing The Body Electric / Weather Report(1972, Columbia)
ジョー・ザヴィヌルがウェイン・ショーター、ミロスラフ・ヴィトウスと組んでやりたかった音楽-つまりSilent Wayの延長線上にあるもの-の完結。2ndアルバムにして、だ。ジャコのいるウェザー・リポートも楽しいけど、それはそれである。3者の音楽性が真正面からぶつかり合う様は、新しい音楽の形が次々と生まれていった70年代前半のカオスそのもの。実験室さながらのスタジオ録音パート、時代の熱を伝えるライブパートの両面で、そのダイナミズムが余すところなく味わえる。
中段左:DIVE / 坂本真綾(1998, ビクターエンタテインメント)
自由でイノセントで何も背負うものがない坂本真綾がいい。この次のLucyで歌っているのはもう大人になった真綾だ。透明度99.9%ポップの1stアルバムよりややダウナーになって、個人的な好みは本来なら1stのほうなのだが、アルバムのラスト「孤独」と「DIVE」が自分にとって大きいんだな。ここで歌われるような痛みも含めて、なくしてしまってなお自分が忘れたくないものが詰まっている。ちなみに僕が一番好きな曲は「ボクらの時代」です。
中段中央:On Broadway Vol.4 or The Paradox of Continuity / Paul Motian(2006, Winter&Winter)
見よ、耳の中を縦横無尽に駆け巡る昇り龍が如きこのクリス・ポッターのサックスを。我こそ21世紀のSaxophone Colossusであると言わんばかりのこの風格を。五感すべてを開放せんとするポッターのサックス、そこに絡むPooさんのピアノ、レベッカ・マーティンのヴォーカルとの相性は群を抜くどころか奇跡的なレベルと言っていい。それらをコントロールするモーシャンのパルスが絶対的な存在感を放つ。ただ辛口めのスタンダード集というだけでは終わらない。ジャズという音楽のもつ引力をこのアルバムは秘めている。
中段右:Proverbs and Songs / John Surman(1997, ECM)
音響空間としてのキリスト教建築には、演奏されているのが教会音楽でないとしても、何か神聖なものを纏わせるような機能がある。ここで演奏されているのはジョン・サーマンのコンポジションによる聖書を下敷きにした組曲で、重厚なパイプオルガン(これまたジョン・テイラー)とコーラスに乗せてサーマンがあの素朴ながら雄大なトーンをソールズベリー大聖堂に響かせる。空間に漂う甘美な残響。ああこれがThe Most Beautiful Sound Next to Silenceなんだな、とECMをまず一つ理解した気がした18歳だった。90年代のECMは掘り出しものが意外とある。
下段左:New Adventures in Hi-Fi / R.E.M.(1996, Warner)
R.E.M.にしてはフツーのロックをやっているということでなんだかあまり目立ってないアルバムな気がするが、とにかくサウンドメイクが素晴らしくて、僕の中のインディーロックのメルクマールみたいなものとなっている。アコースティックに振ったりラウドに振ったりという90年代のアルバムの中にあっていちばんニュートラルでバランス感覚があるし、このバンドの持つカントリー/サイケ・テイストもメロディとアレンジの中にストレートに表現されているように思う。ニュートラルでストレートだが、それでも全体に通底する重く浮かばない気分もまたR.E.M.らしい。
(インディー/オルタナでいうとRadioheadのThe Bendsも迷ったのだが、このアルバムにまつわる個人的な思い出が陰鬱すぎる故、カット)
下段中央:Night Songs / Ferenc Nemeth(2007, Dreamer’s Collective)
クリス・チークとマーク・ターナーという2人のサックスの醸し出す不穏なトーンと着地点の見つからないまま浮遊し続けるフレージング、それにリオネル・ルエケの独特のポップ感をもったミュートギターサウンドが一捻りを加える。リズムもコンテンポラリーなアプローチでフロント隊に応じる。リーダーのフェレンク・ネメスのコンポジションも光るし、唯一自作曲でないのがウェイン・ショーターのE.S.P.だったりして、そこだけでもこのアルバムの宇宙遊泳的方向性が伝わってきたりもする。現代ブルックリンジャズの2006年時点での一つの流れを切り取ったショーケースであり、自分が考える「同時代性ジャズ」にもっとも近い形でもある。
下段右:Bagatellen Und Serenaden / Valentin Silvestrov(2007, ECM New Series)
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テーマとしては、タイムレス/エバーグリーンなマスターピースってところっすかね。死ぬまで聴け続けられるであろうこと、初めて聴いたときの感覚が思い出せること、印象がフレッシュなままであること。ちょっとは悩んだけど、だいたいは日頃聴いてる中で常々そう感じてきたアルバムなので、時間はかからなかった。まぁ、音楽ファンは廃業したとかなんとか言ったけど、このセレクションは自分の人生の積み重ねの結果であって、自分のアイデンティティそのものでもあるんだなこれが。自分が積み重ねてきたものがあって、それを振り返ることができることに嬉しさを感じるし、この9枚を選ぶことができる自分で良かったとも思う。だからやめるやめないではなくて、人生が続く限りこの9枚は更新され続けていくはず。去年10枚ぐらいしかCD買ってないけどな!むかし、よく見ていたジャズ系音楽サイトの掲示板にいた諸先輩が突如一斉にPerfumeにハマりフェードアウトしていったことがあったりして、今まさにわたくしもその段階にあると言えましょう。オタクは推し事に忙しい。んな感じで音楽こそすべての生活ではないのは確かだけど、でもまた戻ってくるよ。
にしてもモノクロジャケット多すぎだろ(笑)自分の撮りたい写真もこういうのですよということで。