Ryuichi Sakamoto : Opusを見た

109シネマズプレミアムでRyuichi Sakamoto : Opusを見てきました。ここではしばらく前から先行上映をやっていたのですが、見たのは正式な封切り(って今言う?)のあとです。

始まってすぐに、椅子に腰を下ろしてピアノに向かう小さな背中が見えます。まず耳に残るのはピアノの音ではなく、その背中の息遣い。その時点では表情はうかがい知ることはできないのだけど、その内側には炎がたしかに燃えている。坂本龍一がまだそこに生きていると確かに感じられて、そこで一気にモノクロのスタジオの世界に引き込まれていくような、そんな冒頭のカットが印象的でした。

作品を通してテンポをぐっと落として、一見して楽曲は静かに穏やかに繋がっていくのですが、その一音一音に込められたものはあまりにも重たい。一回の打鍵のために、想像もつかないほどのエネルギーを燃やしています。自ら生み出した音を受け止めていくような教授の表情から垣間見えるのは壮絶な苦闘。そこで燃えている炎がとても小さな灯火であることに気付かされます。

しかしそんなプロセスを経て表象されるピアニズムが、皮肉なほどに美しい。煌めく音の粒立ち、豊かな低音の鳴り、味わい深い倍音のゆらぎ…かすかな音量で収められた打鍵音、呼吸音とともに伝わる繊細なタッチが、数々の楽曲の深みをこれまでにないほどに引き出しています。

一つ書いておきたいのはセットリストの中盤、愛娘に捧げられたバラードAquaについて。トライアドコードを中心に進行する、教授の曲としてはとてもシンプルな響きとメロディ。モノクロの世界に差し込んだ明かりがこれまでの苦闘をひとときでも癒すようで、ピアノに触れる時間を慈しむように弾く教授を見ながら涙を抑えられなかった。

世を去る数日前に東北ユースオーケストラの演奏と吉永小百合の朗読を聞いて、「これはやばい」と呟いて涙を流す教授の姿がテレビで放映されていましたが、まさにそんな気持ちでした。蓋しこの曲の最後の名演と言ってよいでしょう。

それだけでなく、このコンサート映画における多くの演奏が、坂本龍一の楽曲の自作自演のピアノ演奏として決定的なものです。ぜひアルバムとしてもリリースしてほしいと切に思います。

エンディングで流れるOpus、ひとりでに音を奏でるピアノ……教授の人生の最期を飾ったArs longa vita brevisの言葉で作品は締めくくられます。彼の姿はもう見えないけれど、ふしぎと彼の不在は感じません。音楽はここに流れ続けている。示唆的な余韻に満ちたラストシーンが、自分の中でとても好きになれたのでした。

僕はつい最近まで、長いあいだ教授の特別なファンというほどではなかったのですが、当然常に動向は気になるミュージシャンでした。最初に聴いたのは2005年か2006年ぐらいにNHKで放送されていたライブ映像で、高校に上がってからちょうどYMOのアルバムのリマスター版が出て、友達からBGMのCDを借りたり。Eテレでやっていた「スコラ」も見てました。世代的には初めてリアルタイムで聴いたアルバムはOut of Noiseだったこともあって、僕の中では教授はミニマリズムとかエレクトロニクス、音響的なミュージシャンであり続けていたなあと思います。

それが変わったのが自分でピアノを弾くようになったここ2、3年で、それからは様々な曲と演奏を参照しましたね。そんなことを経ての教授の最後の作品がこのピアノコンサート映画というのも、自分的には感じ入るものがあったのでした。

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