成田山小々旅行

全然予定はなかったのですが、急に昼ぐらいに出発して成田へ。浜松でうなぎを食べなかった話を前の日にしてて、なんか食べたくなったんですよ。そういうわけで成田山の表参道。前に来たときは高校生だったので、十数年ぶり。前に来たときはめちゃのどかに歩けたような記憶があったんだけど、Go Toしに来ている人たちが多いのか、連休前というのになかなかの人出。おまけに車も普通に参道を通るので、歩きにくいなあなんて思いながら。でも街並みは変わらず美しい。

有名店らしい川豊さんで上うな重。これが食べたかった。満足度高し。ほかのお店との違いはわかりませんが目的は果たせた。お店の建物が有形文化財らしいのですが、登録が令和2年4月となっており、意外と最近だった。

新勝寺といえば、節分の日に力士が豆まきに来るんだけど、だいたいその時の第一人者、つまり現在なら横綱白鵬がほぼ必ず来ているはずです。何か規定みたいなものがあるのだろうか…

夜はMUSIC GATEの配信ライブを見ないといけなかったので、一通り回ってそそーっと帰ったのでした。滞在2時間で楽しめる小々旅行。

ピーター・ドイグ展 @東京国立近代美術館

たしかEテレの日曜美術館か何かで特集をやっていて知ったのだけど、それからしばらくして急に思い出して急に行ってきたというやつ。

金曜の夜だったのでそれなりに人はいましたが、概ね快適に鑑賞できました。展示は大きく分けて三部構成で、初期のカナダ時代、現在までのトリニダード島時代、それからドイグのスタジオでやっているという映画の上映会のポスター集。第一部と第二部はほとんどが巨大なカンバスに描かれた油彩画です。全点撮影可だったのでいくつか。

全体を通して感じられる異様なる行き場の無さ。カナダの自然やトリニダード島の空と海、という主題はありつつも、時間と場所、風景と人物といった構成要素はほとんど融解していて、それぞれははっきりと具象的に描かれているにも関わらず、その境界線は非常に曖昧なまま受け止めることになってしまう。モチーフそのものは親しみやすくて、作品によってはとてもポップに見えるものもあるんだけど、実際のところ、立脚点はまったく覚束なく不安定(unstable)な状態にある。一見ほとんど正解として認識できるものはすぐそこに示されているのに、これは正解ではないという疑念を拭うことがどうしてもできない。そんな感覚にまんまと放り込まれてしまうわけです。僕自身はまったく読み込むことができないんですが、これに加えておそらく美術史的なコンテクストも忍び込んでいるので、一枚の絵が重層的すぎていくらでも楽しむことができます。迷宮のような絵画だ…

個人的には、第一部の初期作品におけるマチエールが醸し出す激しさと、しかし全体から受ける静けさのアンビバレンスがとても良かった。第二部に移って、時代を経るごとに作品の表層は整然としてくるのだけど、上に書いたような異様さと不安定さはかえって大きくなっている。時代を通じて繰り返し現れる三分割構図や川に浮かぶカヌーのモチーフ等が呼び起こす、あるはずのないデジャヴもその印象を強くする。

最後はドイグが上映した映画をイメージした一枚もののポスターが並んでいるのだけど、絵画以上に映画オンチすぎて、ただ見てるだけみたいになってしまった(笑)ともあれ、絵画というフォーマットの存在感が必ずしも大きくない現代美術にあって、現在進行形の絵画のとても濃密な流れの中に身を置けた時間でした。ギリギリ行けてよかったー。

森山大道の東京 ongoing @東京都写真美術館

先ごろ終了した森山大道の展示に駆け込みで。

たぶん自分のアンテナが低いだけなのだが、森山は1960-70年代の作品が取り沙汰されることが多い気がしていて、現在進行形の作品がまとめて見られる機会があまりないように感じていたので、まさに”ongoing”と題されたこの展示会には興味があったのです。

ongoingと言いつつ、会場に入って最初のフロアで出会うのはいつもの「三沢の犬」だったり、ほかの1960年代の諸作品だったりするけれど、シルクスクリーン印刷のドット感がおもしろくて、ただでさえ単純化された階調、暴力的なまでに粒子で覆われた「表面」が、白と黒の点の集合体による小宇宙のようにも見えて、ただならぬ吸引力を感じる。そして、ミクロからマクロに視点を移してみたときに得られる実体感も、体験としてとても満たされるものがある。森山の、プリントまで含めて写真(あるいは森山自身の表現)という活動、みたいな姿勢はいいです。このフロアだけ撮影可能。

最初のフロアのだいぶ「さようなら」した作品群と比べると、メインのフロアのongoingな作品はインクジェットプリントのいわゆるストリート写真が中心で、親しみやすい。このあたりは極端な話、自分でも撮れないことはない写真もあるのだけど、ストリート写真を撮る人にとっては、自分ではない誰かの目を通した街を見ること自体が楽しかったりする。森山自身がどこかで言っていたように、写真はアマチュアリズムが本質にあることが面白い。その森山の目はどうかというと、先のフロアと比較すれば、デジタル写真であることによるクールさの印象も強いのだけど、とらえている画がやはりどこかヘンで不穏である。再開発によって整然と「消臭」された東京と、それでもなお駆逐されずに残る、猥雑でエロティックでイヤらしい、ヘンな東京との間に存在する断層を森山の鋭利な目線で暴く作品群。そのコントラストに目眩がしてくる。

影響されやすいので久しぶりにストリート写真っぽいものを撮ってみる。

前に写真美術館に来たのは、なんと17年前のこと。ファミコン20周年を記念した「レベルX」というビデオゲームの展覧会があったんですよね。自分で写真を撮り始めたのはその2、3ヶ月あとだったりして。また来たいと思いつつそんな時間が経っていた。